気まま図書館

小説の感想、解説を書いていきます。

【短編】『空の怪物アグイー』大江健三郎

 

 

小説には、その作家が強く意識しているものが物語によく登場します。

 

たとえば浅田次郎でしたらギャンブルが好きですので、パチンコ屋の店内とか、競馬場とかが場面として扱われるイメージです。

 

小川洋子の『博士の愛した数式』を読むと、あからさまにこの作者は阪神タイガースを贔屓にしているのだと明白になります。

 

そして、今回もまた大江健三郎の短編について語るのですが、彼の小説では度々、脳に腫瘍を患わせて産まれた赤ん坊が登場します。

思いつくものといえば、長編作品の『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『新しい人への手紙』などでしょうか。

 

これは、大江健三郎自身の体験に基づいているらしく、彼の息子の大江光が脳ヘルニアを患って産まれてきたことからきていると考えられます。


今作品では、主人公の雇用主である、空からカンガルーほどの大きさを持つ怪物が降り立つ妄想に囚われている、音楽家のDという男の過去に、その赤ん坊の悲劇が描かれています。

 

赤ん坊は、まるで頭が二つあるのかとも思われるほどに腫れ上がった腫瘍を持って産まれました。この巨大な脳腫瘍が赤ん坊が助かる見込みがないことを悟らせます。

そして最終的には赤ん坊を安楽死することにしたのですが、なんと腫瘍は手術すれば治る可能性があった症状のものだったのです。

Dにはその時の記憶がトラウマのような形に残っているらしく、空から怪物が降り立つ妄想に囚われているのです。


学生である主人公は、そんな彼の付き人として雇われ、物語が展開していきます。

 

結局その怪物の正体は、死んでしまった赤ん坊をモチーフとした存在です。

その架空の存在に対してレスポンスを返すDは、現実での人との交流があやふやで、面倒をみる看護師や主人公に対しても反応が希薄だったりします。

彼は現実に生きている意識も薄く、自己防衛のような形で妄想の怪物に取り憑かれているのです。


過去のトラウマや罪悪感が、今の顕在している意識に強く起因してくる感覚は万人が持っているも過言ではないでしょう。

アドラー心理学の面では、トラウマに対しての否定的な意見が割と目立ってはいますが、私個人としてはあまり賛同できなかったりします。

 

私たちは過去に生きた形跡を記憶として保持しています。


昔のことでもはっきりと覚えていて、それが今の自分に影響を与えていることもあれば、自覚することの難しい、記憶すらもあやふやな幼い頃の出来事が今でも自分を蝕んでいることもあり得ると思うのです。


私もきっと持っていることでしょうし、しかし何が原因で、今の苦手なものがあるのか、それは定かではなかったりするわけです。


今作では意識のはっきりしている成人の男性が被ったトラウマになるので、その原因もはっきりとはしているのですが、その出来事自体が重い内容となってますので、払拭することが難しいものになっています。

 

最終的にDはこの妄想に取り憑かれた自分に対して、ある一つの選択を下すのですが、それは読んでみてからのお楽しみということで。

 

では