気まま図書館

小説の感想、解説を書いていきます。

『カラマーゾフの兄弟1』フョードル・ドストエフスキー

光文社古典新訳版の『カラマーゾフの兄弟』1巻を読み終えました。

 

カラマーゾフ」は全部で5巻ありますが、この第1巻の時点でメインの登場人物はあらかた出てきます。

 

なのでこの1巻の展開をしっかりと理解しておく事で、後の話が読みやすくなりそうです。

 

長男、次男、三男のメインキャラクターとその父親を取り巻くストーリーはこれからが本番となります。


一度流し読みしただけでは、どの登場人物がどういう性格なのか、つい見失ってしまいそうなので、じっくり読んでみることをお勧めします。

 

個人的に印象に残ったのは、カラマーゾフの父親フョードルの下男であるスメルジャコフです。

 

生まれも性格も、メインのカラマーゾフの兄弟と同じくらいのインパクトがあり、これからの話に何かしら影響を与えていくのではないかと、そんな雰囲気を漂わせています。

 

作中で一番何を考えているのか、いまいち言動が読めません。

 

フョードルは次男イワンの思想に影響を受けているのではと発言していますが、謎に満ちたキャラクターです。

 

第1巻は難なく読めましたが、問題はこれからです。

 

第2巻、3巻と続くにつれて、また新しい登場人物は出てきますし、イワンの思想やゾシマ長老の死に目の場面など、難解なところは多々でてきます。

 

しかしこれからが楽しみです。


全部読み終えた時、自分は何を感じるのか、期待しながら読んでいきたいと思います。

『カラマーゾフの兄弟』を読む②

 

 

カラマーゾフの兄弟』はタイトル通り、カラマーゾフの姓を請け負った三兄弟をメインとした話になります。長男のドミートリィ、次男のイワン、そして末っ子のアレクセイは兄弟でありながらも育ちや性格が違っており、それでもなお貪欲で道化を演じる父親の血を受け継いでいます。


長男のドミートリィは父親フョードルの一人目の妻との間に生まれました。次男と末っ子は二人目の妻の元に生まれたので、腹違いになります。今作は長男と父親との諍いが大きな話を占めるものとなっているので、特にこの二人の関係性は第1巻の時点で着目しておくと、後の展開が納得いくものといえるでしょう。

 

私が今カラマーゾフを読み返して思ったのは、末っ子のアレクセイの親友でもあるラキーチンが、まるでこれからの展開を知っているかのように、長男や次男の特徴をアレクセイに話していたところです。

 

私は最後までこの作品を読み終えていないのですが、ラキーチンは特にキーとなる行動をする人物ではないという印象なので、改めて読み返した今、彼は先見の才能があるのではないかと感じました。

 

カラマーゾフの兄弟は沢山の人物が登場するので、いちいち覚えていくのが大変ですが、じっくり読み返すと意外な人物の発言も無視できないものなのかもしれません。

『カラマーゾフの兄弟』を読む①

 

あらゆる文学作品を漁っていると、どんどんとレベルの高いものが目に見えて仕方ありません。ネットで調べたりすると、たとえばAmazonでは関連作品に沢山興味深い小説がおすすめとしてあがってきます。

私は3月頃に哲学の勉強をほんの少ししたのですが、たった数日間ネットで調べただけでも読みたいものは山ほど出てきたのを覚えています。

そして世界の広さを知り、自分の狭い世界を実感せざるを得なくなったりします。


自分の狭い視野で認識できる世界で過ごすこと、それが悪いこととは思いません。

ただ仕事に熱をこめて生きていくことが全てのような世の中では、趣味や社会など仕事以外の対象に関心を示さなくなるのも頷けます。むしろその方が自然な形でしょう。

近頃は好きなことを仕事にすることや、好きなものを積極的にシェアしていく姿勢が時代の一片として顕在しています。

それはそれで、日頃の情報にいちいちアンテナを張っていく生き方を強いられているようで、自由を求めながらも息苦しさを感じていく矛盾が発生しそうです。

なので結局は、インターネットもそこそこに、本当に関心があるものにのみ、着目することがベストだと思います。


カラマーゾフの兄弟』は数年前の大学生の頃から、存在は知っていました。

ドストエフスキーがすごい作家であり、極端な話ドストエフスキーさえ読んでいれば他の作家は読まなくていいと、そんなレビューまでも見たことがあります。

そのレビューに触発されてドストエフスキーの代表作『罪と罰』を読んだことがあります。

その読みづらさに一度は挫折したのですが、読書慣れした頃に再び挑戦し、無事読み終えることができました。

 

しかし先程書きました、極端にドストエフスキーを絶賛しているレビューに同感はできず、本当にこの作家がすごい作家なのだろうかと、疑問のままに終わってしまったのです。


ドストエフスキーの本質は今作の『カラマーゾフの兄弟』にあると言われています。

ドストエフスキーの生前最後の作品であり、第一部、第二部と二つ構成で考えられていたらしいのですが、第一部を書き上げた時点で彼は亡くなってしまったようで、結局第二部は完成されずに終わりました。

いわば未完成の作品なのですが、それでもこの作品の評価は果てを知ることがありません。

 

私は数ヶ月前からこの作品を読み始めていたのですが、ブログ書くにあたって他の短編と並行して読み進めていたのもあって、話についていけなくなりました。

第4巻まで読んだのですが、登場人物もまともに把握できないままの状態で読み終えるのはさぞもったいない気がしたので、もう一度じっくり読むために、昨日また第一巻から読むことにしました。

 

今第一巻の途中まで読んだのですが、現段階では登場人物もある程度把握しており、途中の結末までも理解しているので、なんとなく話の細かい部分がこれからどう活きるのかがわかり、前回よりも面白いです。


もう少し読んだら一度感想を書いてみようかと。

 

【番外】ふりかえりとかこれからのこととか


最近、ブログを更新する頻度がめっきり減ってしまい、焦りのような気持ちが大きいです。

 

読書自体を嫌になったわけではなく、むしろ量自体は増えているのですが、いかんせん夜の一人の時間が減ってしまい、なかなかブログを書く時間も取れなくなっています。

 

 

気づけば日を超えてしまい、そして夜遅くに寝て、朝寝ぼけ眼で仕事に行く毎日です。

 

 

また別の課題として、ブログを毎日更新しようとすれば、その分だけ読破する量を無理やり増やしてしまい、読書の質が著しく低下してしまっているのも自覚しています。

 

 

元々読書自体は好きなのに、ブログを始めたことによって読書本来の楽しみを失いかけています。

 


このままじゃあまずいと、少しやり方を変えなければならないのかなと感じる昨今です。

 


今、私はブログのことを意識することは少し辞め、改めて小説自体を楽しむために、ただ単純に何も考えずに長編小説を一つ読み直しました。

 

元々は全5巻のうち4巻まで読んでいたものですが、このブログのために同時進行で沢山の短編を読んでいたせいで、その長編自体がどんな話だったのかわからなくなってしまったのです。

 

 

わからないまま読み終えてしまってもよかったのですが、読み終えることだけに定めすぎると、本当に読み終えるだけの読書になってしまいます。

 


果たしてそのままでいいのかと。

 


てなわけで、これからはその長編作品をどれくらい読み進めたのか、どれだけ中途半端に読み進めたとしても、せめてもの記録として、こちらのブログにその感想なんかを書いていきたいと思っています。

 

 

その方が、質の高い読書ができる気がしますし、こういった方向転換はわりと嫌いじゃないです。

 

まだブログを始めて一か月も経っていないほどなので、気まぐれな具合が否めませんが、仕方ないでしょう。

 


というわけでこれからは『カラマーゾフの兄弟』を読み進めていく過程で感想を書いていきます。

では。

【短編】『檸檬』梶井基次郎

 

 

梶井基次郎の代表作です。才能のある作家でしたが、肺結核により31歳で病没しました。いくつかの作品を読んだことがあるのですが、感覚に訴えかけるような文章が独自の世界観を形成しています。

 

檸檬』は梶井基次郎の中でも特に有名な作品ではないでしょうか。日本文学を少しでも調べた人ならば、一度は目にしているかもしれません。


この作品は、ストーリーを楽しむことよりも、内面で渦巻いているような焦燥と日常の風景の融合に力が込められている気がします。

 

京都の寺町、新京極の賑やかな通りを歩く主人公、しかし彼の中では息苦しさのような感性が燃えたぎっているかのようです。やがては強迫観念のような、過激にも見える思想が彼を動かします。そして酸っぱい匂いのする檸檬を購入し、まるで爆発物を扱うかのように、とある書店の中に置き去りにしていくのです。

 

このあまりにも何気ない、ただの一人行動に梶井基次郎の技巧が発揮されているのは、読んでいて爽快でした。短い話ですが、読み応えとしては抜群で、繊細な内面を力を込めて文章に表すそれは、三島由紀夫に通ずるものかもしれません。

 

 

私が大学生の頃、自分の他に何人か読書通がいまして、所詮は大学生なのですが、色々と日本文学の話をする機会がありました。当時の私は川端康成谷崎潤一郎などを読んでいましたが、梶井基次郎の『檸檬』が好きだと公言していた人を何人か覚えています。

 

学生にも理解が及ぶくらいインパクトのある小説なのでしょう。なので読書に慣れていない人でも、読み手に読書の素質があれば、読書をしていくいいきっかけになるかもしれない一冊だと思いました。

 

【短編】『恐怖』谷崎潤一郎

とても短い谷崎潤一郎の短編小説です。

 

 

1913年に大阪毎日新聞に掲載されたようです。

 


内容は至って簡単。

 

谷崎と思しき主人公が、乗り物酔いに対しての苦悩と恐怖を抱いているという、令和の現代からすればある意味滑稽な内容に見えなくもないです。

 


この話の感じからするに、当時はまだ乗り物に酔うという症状が世間では知られていなかったのでしょう。

 

 

谷崎が巧みな文章でそれを表しています。

 

 

そして、世間一般に知られていない乗り物酔いを、どう人々に説明したらいいのか、そんな自分だけの苦悩が閉塞的に語られているのです。

 

 

自分のことのように考えると、自分だけが車や電車に乗ったときに、独特の吐き気やムカムカを感じても、それを分かってくれる人がほかにいない。

 

 

それはまさしく恐怖なのかなと思います。

 

 

現代ですらも、まだ浮き彫りになっていない病はたくさんありそうですし、気まぐれめいた精神の変化や、これって自分だけかも...と思っている身体の症状も、近い未来病気扱いされるのかもしれません。

 

 


それにしても谷崎潤一郎は文章が上手いなあ、と改めて思いました。

 

【短編】『杜子春』芥川龍之介


芥川龍之介といえば、『羅生門』を始めとし、教科書にも採用される比較的読むのに苦労しない短編が多いイメージです。

 

今作も昔の唐の国を舞台にはしていますが、わりと読みやすく、子どもにも読めそうな内容です。

 

主人公である杜子春は、貧困に陥っている自分に救いを差し伸べる謎の老人のアドバイスを受けて、富豪の生活を手にします。

 

一気に金持ちへと変わった彼は、散財によりまたもや貧困へと戻ってしまいます。

そして、貧困になった彼の前へ再び老人がやってきて、言われるがままに従い、またもや金持ちへと変わりますが、また散財により逆戻りです。

 

杜子春は、その繰り返しの中での人との関わりによって、人の強欲さや冷酷さを悟ります。


金持ちの自分には寄ってたかる者たちが、いざ自分が貧困になると相手もしてくれない。

 

結局杜子春は老人の手にあやかることはやめて、そして老人の正体が仙人であることを見抜き、彼の元で修行をさせてほしいと頼みます。

 

しかし、仙人になる修行は彼の恐怖心や罪悪感をくすぐり、苦しみに晒されていきます。

 

彼は両親への罪悪感から仙人への道を諦め、貧困に戻りますが、仙人の修行は決して無駄ではなく、彼自身を人間として成長させたのでした。

 

この話は、目的のために全てを捨てることが愚行だということを比喩しているように思えます。

 

杜子春は目の前で虐げられる両親(幻想)を無視することができませんでした。

 

あのまま彼が修行を成功させていたとしても、彼には救いの手はなかったでしょう。

 

日本では努力や根性を尊重する、わけのわからない文化が根付いています。

 

私自身、根性や努力は嫌いではないですが、ただ闇雲に一辺倒に努力を重ねても何も得られないものでしょう。

 

自分で考え、選択する力があるからこそ、いざと言うときに努力や根性が輝くはずです。

 

シンプルな教訓として読んでみてはいかがでしょうか。