気まま図書館

小説の感想、解説を書いていきます。

【長編】『カラマーゾフの兄弟』フョードル・ドストエフスキー【読了】

遅くなりましたが、ようやく、カラマーゾフの兄弟を全て読み終えました。

 

文庫本全部5巻にして、2000ページほどの大作でもあり、作者が長年温めてきた作品ともあって、読み終えるのにとても時間がかかりました。


最初読んでいる時は、かなりキリスト教色の強い作品だなと、やはり海外の古典文学はそういう宗教味が強いのは仕方がない、その前提を踏まえた上で読み進めていくしかないと割り切っていました。


それが知らぬ間に、登場人物の語る世界観の真理的な面に魅了され、癖になったかのように読み進めていました。


電車に乗っている時とか、トイレの中とかでも、少しでも時間が有れば読むようにして、なるべくストーリーの流れを円滑に進めていくために意識を働かせる感じに読書をしていたのです。


そのうち、この作品の展望が見えた気がしました。


結局はこのカラマーゾフの兄弟の良さを全て理解できたとは言えないかもしれません。

 

かの文学の評論家、小林秀雄は「続編を想定して書かれたものだが、続編が発売されずとも完璧ともいえる出来栄え」だと評していましたが、私にとっては続編ありきで書かれたものだという感が否めません。

 

作者のドストエフスキーは二部構成であることを前提にこれを書いたと始めに記しているのが納得いくほどに、余韻を残した締めくくりになっています。


その余韻がまたいい味を出しているのでしょうか。

 

私はこれからの登場人物がどう動き出すのか、それもまた知りたかったなという気持ちです。

 

今回は光文社古典新訳文庫版の和訳を読みましたが、時が経てば新潮文庫版の方を読んでみようかと思います。

【長編】『カラマーゾフの兄弟3』フョードル・ドストエフスキー

もう長々とこの作品についての感想を書いていますが、ようやく第3巻を読み終えました。物語もいよいよ終盤に近づいてきた模様で、メインキャラクターである長男のドミートリィが父殺しの罪に問われ、裁判にかけられる場面で3巻は終了しています。

父親が殺されたとされ、ドミートリィは判事と検察によって尋問にかけられます。彼は現行犯ではありませんが、過去の発言や父親との不仲な関係、事件前後の行動などから強く疑われてしまい、なにを言っても言い訳がましい言動として捉えられてしまいます。本人もそれをわかっている上なのでしょう、とてもまごついたような発言になり、それがなおさら疑わしいものとして周りに聞こえてしまうハメになるのです。

その、聞き込みをしている判事たちと、自分のアリバイを証明しようとしている二人の温度差が、なんとも言えない人々の行き違いを感じる場面でした。きっと世間の会話でも、このようなすれ違いは多々あるのだと思います。

いよいよ次は第4巻、最終巻に入ります。どんな結末になるのか、楽しみです。

『カラマーゾフ』を読む⑦

光文社古典新訳文庫版『カラマーゾフの兄弟』を読み進めていく中での感想などを書いていくコーナーです。

 

全5巻中、3巻の中盤くらいまでを読み進めました。

いよいよ、長男ドミートリィの気が狂い始めたような感じになっていきます。

父親フョードルの家に侵入し、おそらくは彼を殺害しました(?)。

そして彼の家から3千ルーブルを盗み、意中の人であるグルーシェニカがいる村へと向かいます。

この一連の行動前後のドミートリィは、焦りに焦っている状態で、もはや少しの余裕すらもありません。

とにかく金が必要で、誰彼構わず訪ね歩き、そして金を貸してもらえないとなると怒鳴りながらその人の元を去っていく始末です。

 

余裕のない状態の人を俯瞰してみるとこんなものかと、私は思いました。

 

私もよく仕事に遅刻しそうになったり、来月の家賃が払えなさそうだったりするときは、ひどく焦ります。

そして周りを見渡す余裕も醸し出せないままに、後手後手になりながら行動にうつすのです。

内面は沢山の色のペンキをぶちまけたかのようにぐちゃぐちゃな心境になり、身体は焦って思うように動きません。

そして最悪の結末が近づいていくことを薄く感じ取っている中で、それがどんどん色濃くなっていくごとに、恐怖心は肥大していくのです。

 

こんな時は、誰かが優しく手を差し伸べてくれることで、以外な活路を見出せたりもするのですが、彼の場合は違いました。

 

これがのちにまた悲劇を生むのですが、それはまた次回のお楽しみにしておきます。

 

では。

「カラマーゾフを読む」⑥

光文社古典新訳文庫版『カラマーゾフの兄弟』を読みながら語るコーナーです。

 

第3巻の100ページほどを読み終えました。

 

ゾシマ長老が天に召されて、心がやさぐれてしまった三男のアレクセイは、友達のラキーチンとともに悪女として語られているグルーシェニカの元へ行きます。


そして彼女の心中を聞くことになり、彼女がアレクセイの父親フョードルと、長男ドミートリィについてどう思っているのかを知ります。

 

彼女なりに沢山の葛藤を抱えたまま、今の三角関係の現状があるとすれば、これからの展開にもまた一つ絡んでくるものがありそうです。

 

カラマーゾフ」は、神についての真理をテーマとしている平行線で、泥沼のような三角関係の話も続いていきます。後半はまさにその展開続きます。

 

恋愛問題といえば、どこか軽く聞こえてきそうですが、ある意味私たち人間の共通の課題であり、誰をどう愛するのかの形や姿勢は、世間に対しても自分に対しても示し続けることが試されていると思います。

 

側から見れば一人一人の関係性は、友達だとか恋人とか、割と簡単なもので処理できるものですが、本当の関係性はその当人にしかわかるものではありません。

 

ただの友達でも、お互いにはどのような存在なのか。ただの恋人でも、裏ではどんな心境で、どんな感性でもってして関わっているのか。


それは相手にすら悟られないような深いものもあります。

 

そしてその語られない影のような部分が、私たちの人間関係をどこまで深く、真理めいたものにしていくのだと思います。

 

私たちの関わる、ありとあらゆるものは人間関係が織りなすもののようです。

【長編】『カラマーゾフの兄弟2』フョードル・ドストエフスキー


カラマーゾフ2巻目読み終えました。

まだ物語の序盤ではありますが、2巻ラストのゾシマ長老の回想などはかなり奥深いテーマを感じます。 
この、アレクセイが書き記したとされているゾシマ長老の死に際の回想録は、これから起きる本書の中での現実の出来事と多少リンクするところがあります。

それは3巻以降を読み進めていく上で判明するのですが、この回想録自体がすでに神々しく、全ての真理を説いているかのような内容となっているので、そのリンクしている部分に気づかないかもしれません。

 

しかし、ゾシマ長老がアレクセイに長男ドミートリィの行方を探すよう説得していたのは、彼の記憶から予測できる、これからの悲劇をなんとかして食い止めようとしていたのでしょうか。

 

これから先は、長編ドミートリィがしたとされる殺人の話がメインとなっていきます。

私は前回3巻以降から難しく感じたのですが、今回はどうでしょう。

楽しみではあります。

「振り返りみたいなもの」

 

ブログを初めて、もうすぐで2ヶ月になります。

 

早いものでして、このブログのおかげで読書することを意識することもできましたし、その反面、読書するのにプレッシャーを感じたりすることもありました。

なんのためにしているかという理由も定かではありませんし、とりあえずは続けていくつもりは変わらないのですが...。

 

 

毎日投稿するのが難しくなっている、それが今の自分の反省点になります。

 

 

最初の1ヶ月は難なく毎日続けていたのですが、ここ最近あからさまにペースが落ちています。

多くて2日に1度とか。別にやる気がなくなったわけではありませんが、生活習慣が変わってしまったのと、1日一話読むのをやめ、長編作品を読みながら感想を投稿するという方針に転換したのがこのような結果になっているようです。

 

じゃあどうする?

 

 

習慣化されていないのが原因ともいえます。

あと読書自体は好きなことなので、好きな時にすればいいという考えが強く残っている気もします。

最近はなにかと夜にイベントが多かったりしたので、朝にブログを書くようにしてもいいのかなと考えたりします。

 

そうですね。世間では朝活なんてものも流行っていることですし。

朝じゃなくても、日中なんかの時間が空いた時とかにしてもいいかと。
それにしても、だんだんと書くことが思いつかなくなってきていると思います。

こういった継続する形で文章を書くことは初めてなので、少し燃料を使い果たしたような感覚もあります。

 

それでも、とりあえずは『カラマーゾフの兄弟』を読み切るまでは、他の本を読みたくはないので、しばらくはそれに関したことを書いていくつもりです。

 

がんばろう。

『カラマーゾフの兄弟』を読む⑤

光文社版「カラマーゾフ」第2巻の終盤まで読み進めました。

 

第2巻は物語の中でもかなり難解な場面が多く登場しますが、それゆえに「カラマーゾフ」の真骨頂のような面も垣間見えたりするわけです。

 

具体的にはカラマーゾフ兄弟の次男であるイワンが頭の中で創作した「大審問官」の内容を三男のアレクセイに話す場面と、2巻終盤の、修道院の長老であるゾシマが亡くなる直前に語った、自分の生い立ちなどがあたります。

 

この辺はドストエフスキー特有の、神がかり的な世界が発展して、読者は誘われるか、またもや内容の変化についていけなくなるかの2つとなります。

 

おそらく初めてドストエフスキーに挑戦した人も、1巻まではなんとか読めるかもしれませんが、この辺りの冗長じみた語りによくわからなくなる人も多いのではないかと思います。


基本的にドストエフスキーの物語のテーマは「神はいるのか」といったものになります。次男のイワンは博識であり、キリスト教が蔓延する社会の中でも自論を保ち続けるようなリアリストでもあります。

 

その彼が自問自答の中で作り上げた物語が「大審門官」であり、イワンの神の存在についての自身の答えが書かれていると考えても良さそうです。

 

そしてゾシマ長老は、三男アレクセイに長男ドミートリィを探し出すことを何度も命じます。

 

その理由は後の展開を見れば明らかになります。

 

今回の二人の長い話も、現段階ではこれからの物語の中では中盤にすぎませんし、この話がのちにどう生きるのか楽しみです。