気まま図書館

小説の感想、解説を書いていきます。

【中編】『友情』武者小路実篤

 

突然ですが、私は恋愛が苦手だったりします。

 

 

 

理由はいろいろあるとは思うのですが、自分の場合は、人から人へ、自分から湧き立つ相手への好感度をぶつける行為が、居た堪れなくなりすごく苦手に感じたりします。

 

 

だからこそ恋愛というものは至極ロマンめいたやり取りの一つとして、創作物には欠かせないものとなっていますが、その恋愛の大半は実らないものであるのではと、そんな想像も働いてしまい、げんなりするのもあるわけです。

 

 

そしてこの作品、武者小路実篤が1919年に発表した『友情』も、タイトルから想像できる内容とは打って変わって、主人公が一目惚れした女性に恋心を奪われてしまうものとなっていおります。

 

 

基本的には地の文で話は進みますが、出だしの自序で、結婚のことについての語りが少しだけ入っています。

 

 

ああ、これは恋愛をテーマとした小説で、しかも武者小路自身が、読み手を強く意識してメッセージを含んでいるものだなと、そんな忠告にも読めるものです。

 

 

そのメッセージの対象は、武者小路が有志とともに開村した共同体である「新しき村」で活動する若手たちでした。

 

 

友達や恋人の人間関係、勉強への意識、野望、若い頃にはそれらのことでつまづく人が多いです。

 

 

それは今も昔も変わらないそうで、『友情』はそんな若者に向けてのメッセージだったのでしょう。

 

 

およそ100年前の作品ではありますが、全くもって色褪せない、現代の若者にも通ずる一冊です。

【短編】異端者の悲しみ/谷崎潤一郎

 

 

 

 

谷崎潤一郎の短編小説ですが、おそらく自分の体験が強く起因した作品となっているようです。

 

 

 

 

 

 

主人公の名は章三郎、大学を出、優等生としての才能を活かすことができないまま、実家にて放蕩の日々を過ごします。

 

 

そんな彼を、毎日あくせく働いている父や、家庭の貧困なる日々にヒステリーを起こしがちな母は、彼を自堕落で心のない倅だと後ろに見ています。

 

 

そして章三郎の妹は、肺病により長い命ではなく、ひたすらに自室で療養の日々を送っているという、陰惨な家庭空間が主な舞台となっております。

 

 

20世紀初期の作品ではあるものの、家族での哀れな諍いなどの場面は、現代にもよく問題視されるものではないかと思います。

 

 

しかしこの話のテーマは、そういった分かりやすい家庭問題を取り上げたものとは違うもののようで、谷崎潤一郎の耽美的な表現力や、善でも悪でもないような中立的な地の文が、谷崎潤一郎の才能として揺るぎないものとしていると私は思います。

 

 

時には主人公の内面を深く掘り下げ、そして主人公の家族や級友とのやりとりがまた各々の個性を確立させていく。

 

 

そのどちらにも幅がぶれすぎない微妙なニュアンスもありつつ、谷崎らしい力強さもまた死ぬことがないのです。

 

 

谷崎潤一郎の代表作として、『細雪』や『春琴抄』、『痴人の愛』などがありますが、もし私が谷崎潤一郎の作品の一つも知らない人におすすめするものでしたら、まごうことなくこの『異端者の悲しみ』を推したいと思います。

 

 

それくらい、お手本のような小説的展開もあり、純文学特有の文章表現も混じり合っているため、谷崎潤一郎を読んだことのない人は、是非読んでみてはどうでしょうか。

 


ではでは。

 

【ご挨拶】遅ればせながら...

 

2021年4月にさしかかった現在でも、コロナウイルスの感染は留まることを知らず、大阪では第4波が始まったのではないかとの懸念がなされています。

 

世の中の働き方も、趣味娯楽の形も変わりつつあり、私たちは以前のように軽々しく物事に取り組むことに足踏みしてしまう始末です。

 

そんな中、私はというと、仕事の面や、あちこちと放浪する面での歯止めは著しく、もしコロナウイルスが蔓延することがなければ、かなり違った人生を歩んでいたことでしょう。

 

その反面、私の続けてきた娯楽や趣味の中でも、変わらないものがあることもまた事実です。

 

YouTubeや映画を見たり、音楽を聴いたりと、比較的一人で凌げるコンテンツに触れていることが多かった私は、19.20歳くらいの頃から読書に力を入れることを意識的に行うようになりました。

 

大学や地元の図書館、古本屋にAmazon等の通販を調べ回り、基本的には自分の理解の範疇が及ばないレベルの日本文学や、割とライトな感覚で取り組める大衆文学などさまざまなジャンルを読んできたものです。

 

今思うと、なぜ読書に取り掛かろうとしたのかイマイチ覚えていなかったりします。それも自己啓発や新書などはあまり読まず、むしろ創作としての文学にフォーカスを当てていたわけです。

 

その意識は何年か経った現在でも変わることなく続いています。私は一人でいるとき、暇ができたとき、寝る前の静かなとき、皆んながガヤガヤと騒いでいるその空間に上手く混じることのないとき、ふと本を開いてページをめくっているのです。

 

そんな自分が、今日から小説をメインとしたブログを書こうと思うのも、なんというか、わかりやすい展開だなと我ながらに思うわけです。

 

しかし想像の範囲内であることも、実際に始めてみてからの展開は読めたものではありません。

 

私の性格上、つい怠けがちなところも多々あるので、その面が強く出てしまうことも懸念材料ではありますし、逆にのめり込み過ぎるところもあるので、どちらに傾くかはこれから次第でしょう。

 

 

というわけで、遅ればせながら、今日から始めていきたいと思います。

 

 

基本的には「一日一話」で、その日読んだ小説の読後感を、このブログを読んでくださった方にうまく魅力が伝わるようなレビューとして載せていきます。

 

 

てなわけで。

では。