【短編】『死者の奢り』大江健三郎
大江健三郎の初期のデビュー作です。
私、大江健三郎がかなり好きで、ちょくちょく読んでいます。
5.6年ほど前でしょうか、『個人的な体験』という、これまた初期の作品を読んでから、一気に彼の作品に魅了されるようになりました。
巷での大江健三郎の評価といえば、難読すぎる文章構成や、偏った政治思想の持ち主とも言われており、少し厳しめのものが多い印象です。
しかし私個人的には、大江健三郎ほどの文圧がある作家がかなり好みだったりするわけです。
まあ川端康成くらいシンプルな文章も好きなのは好きですが。
で、今回の『死者の奢り』ですが、短編小説となっておりまして、全体的に陰鬱な空気感が漂うものとなっております。
大学生である主人公が、解剖用に保存された死体を新しい水槽に移し替える仕事に就く物語です。
主人公と、もう一人仕事に就くことになった女子学生と、その解剖室の管理人が手分けして仕事をするのですが、連絡の違いにより、解剖用の死者たちはもう処分される予定のものとなっていたらしく、新しい水槽に移し替えた作業は取り越し苦労となってしまい、夜更けまで死者を処分するハメになるというお話しです。
のっけからじめじめしたような舞台の描写から始まり、出てくる登場人物や、今回のキーでもある解剖用に保存されていた死者の表現など、普段の生活では経験することの少ない要素が詰まっていながらも、確実に日常の一コマにあるものだろうかと、そう感じるリアリティがありました。
物語には、よく「死」の概念が付き纏います。それは物語自体を盛り上げるためだったり、答えのない問いかけとしてのモチーフだったりと、「死」の扱いはさまざまです。
今作での「死」は、解剖用としての材料である死者が、結局は何も利用されることなく、ただ処分されてしまう、そんな滑稽な形として現れています。
死者は死者で、火葬されることなく長年保存されたものの、結局は処分されてしまう。
そして主人公たちは主人公たちで、日中での仕事が完全なる無駄でしかなかったハメになるなど、登場人物の誰もが徳をしないという...。
陰鬱なままに、さらに物語の着地点も虚しい場所に降り立つわけで、現実味のある厳しさも兼ね備えていながらも、私たちの日常から遠いところにありがちな「死」の概念が身近にあるというのは、創作物ならではのものでしょうか。
大江健三郎がどんな作品を書いているのか、これを読めば一味わかるのではないかと思います。
では。