気まま図書館

小説の感想、解説を書いていきます。

【長編】『西海原子力発電所』井上光晴

井上「靖」だと思って図書館で借りた本でしたが、私の空目でして、井上「光晴」でした...。


井上光晴の名前は聞いたことがあったのですが、彼が作家という認識も朧げなものでして、実際手にとって数ページ読み進めて、そういえば井上靖ってどんな作家だったっけなと著者プロフィールの欄を見ると、あれっこの人違う人だと気づいたわけです。

 

そんな自らの辱めを晒しあげながら、井上光晴の長編小説についての感想を書きます。


上記の通り、井上光晴の本は初めて読みました。テーマは原子力発電所が関わることによる社会問題や、原爆による被曝者についてのものです。

 

なんせテーマがテーマなので、ある意味わかりやすいところもあったりします。

 

今でこそ原発というものは、東日本の大地震も記憶に新しく、日本という国に住む私たちにとって切り離すことのできない深い問題です。
私たちの生活を営む上で、効率よく利用できるエネルギーにあやかったままの生活が当たり前になりながらも、裏では私たちの生活が常に放射能というリスクを背負っている。
戦後の日本が復興していく中で、経済や文明の発展を目標として一致段階めいた形で科学の力にも頼らざるを得ない。

 

しかし物事の理のように、どんな便利なものでも、その裏の顔というものは必ずしも存在するようで、そして裏というものはそうそう簡単に多数派には理解されません。

 

今回の作品では、小さな港町に起こった放火事件が原発などの利権が絡んでおり、それが奥底のない人の歪みのようなものとして現れているように私は感じました。

 

原発をテーマとして、仕事や家庭が脅かされる夫婦や、原発に対して反対することすらも押し黙られてしまう強大な利権、もしかしたら被曝したせいで患っていた人も、医者を含めて誰も認めようとしない、そんないざこざめいた形が多く募っています。

 

しかしそれでも、少し登場人物がわちゃわちゃと多すぎて、一体誰を軸に読めばいいのか、わかりづらいところはありました。

 

再読するとまた印象が変わるかもしれませんが、ストーリーとして楽しむところよりも、文明の利器から生じる裏側の生活を垣間見るには、いい小説なのではないでしょうか。

 


では。

【中編】『セブンティーン』大江健三郎

 

 

皆さんは17歳の頃の、自分の感性や価値観を覚えていますか?

 

私はなんとなくあんな感じだったなとか、その当時の情景を記憶から掘り下げたときの独特な懐かしさから思い出せるものもあります。

 

10代といえば皆さんもご存知、多感な時期の真っ最中で、10代独特の感覚の不安定感や、喜怒哀楽のコントロールの難しさなどに悩まされる人も多いのではないでしょうか。

 

そして時が進んでいくごとに、それらは少しずつ塗りつぶしていくようになくなってしまい、大人の人格が形成されます。

 

よく10代は羨ましい、またあの頃に戻りたいと言った声を多々聞こえてきますが、私は戻りたいなんて露も思ったことはありません。

 

思い出すほどに、青春の日々というのは、小難しい自分が浮き彫りになっていくばかりで、自己責任もなければ自由もまた狭まっている世界、羽を伸ばして生きていくことの難しかった世界が垣間見えるのです。

 

今回、大江健三郎の『セブンティーン』には、私の持っている青春とは少し違う形で、そして羨ましいものでもない世界となっております。

 

自瀆にふけ、政治的な思想を持て余し、あらゆる劣等感を携えている主人公。


そんな彼が、看護師として働いている姉と政治についての話で喧嘩をしたり、体力テスト中に小便を漏らしたり、学力テストで居眠りをしたりと、なかなかうまく軌道に乗ることのできない学生生活を送っています。


鬱屈したコンプレックスに政治思想を交えた彼の内面が、その政治思想を生かすことによってコンプレックスを打破し、新たな自分に生まれ変わる物語です。

 

これを読んで思ったのは、やはり若者というものは、いつの時代も、何かパワーを持て余しているものなのだなと感じました。

 

そんな、どこかパワフルで繊細で小難しい主人公の独壇が続く小説、是非読んでみてはどうでしょうか。

 

 

では。

【中編】『飼育』大江健三郎

 

このブログをはじめた頃の話です。

 

 


私は大阪市の1番大きな図書館で、
文庫本にして800ページはありそうな、
大江健三郎の自選短編集を借りました。

 

 

今回はその作品集にある一つをとりあげ、

大江文学の初期の作品、『飼育』について語ろうかと思います。

 


この作品は大江健三郎がまだ
作家デビューしてまもない頃のものでして、
同じく初期の短編である『死者の奢り』とともに代表作として挙げられます。

 


この作品は芥川賞受賞作となりました。
大江健三郎がまだ23歳の時に連載が始まったものです。
20代前半の時点で芥川賞レベルのものを作り上げた大江健三郎の才能や知識量は凄まじいものです。
文章にも卓越さが感じられます。

 


短編の『死者の奢り』は

大学生の物語でしたが、
今回は少年がある事件を

経て一皮剥けた大人になる、

その過程の物語が描かれています。

 


舞台も、大学の解剖室から、戦時中の国の山奥にある集落に変わります。

 


この山奥の集落的な土地を、
大江文学内では「谷間」と表現され、
度々彼の長編作品の舞台として扱われます。

 

 

元々が森林面積の高い
四国出身の大江健三郎にとって、
山というのは彼にとって
大きな価値観を占めるみたいで、
ことあるごとに物語の舞台となります。

 


ただ今回は四国を舞台にしたものなのか、
その表現もなされておりません。
おそらくは日本のどこかであり、
主人公の少年たちは、自分たちの閉鎖的な
コミュニティである村の中で暮らしています。

 


閉鎖的であり、
近くの町の住民からは少し疎まれている、
そんな小さな世界が舞台です。

 


なので私たちが思い描くような、
少年らしい思い出とは少し違い、
戦争中などの舞台背景もあって、
甘酸っぱいものはかけらもありません。

 


当然といえば当然ですが、
前回読んだ小川洋子
博士の愛した数式』とは何もかも違います。

小川洋子のさっぱり感、
人々の温かみ、
日常の紆余曲折、
そんなものは一切ありません。

 

 

ここにあるのは
人間の動物的な生々しい臭い、
血や排泄物、
汗ばんだ黒人兵の肌感触などで、
それらは決して退けられることなく、
大江健三郎の芸術として
堂々と表現されます。

 


読む人によっては汚いものとして、

簡単に処理されてしまうものですが、
私はこの排他されてしまいそうな事象を
少年の成長物語の一つに統合しているところに、文学の可能性を感じました。

 

 

この感じは村上龍の文学にも通ずるもののように思います。

 


村上龍も最新ご無沙汰なので、
また読もうかなとも思いますが、
しばらくは大江健三郎の短編レビューが続きそうです。

 

 


それでもよければ読んでくだされ。

では。

【長編】『博士の愛した数式』小川洋子

 

 

このブログを開設してから、ひたすらに近代文学のレビューが多かったので、21世紀の小説について語ろうかと思います。

 

 


というわけで、今回は小川洋子です。このブログでは初めての女性作家ですね。

 

 


現代の女性作家といえば、恩田陸宮部みゆき角田光代などがあげられます。

 


小川洋子もまた彼女らと同じく代表的な女性作家ですが、自分は今回初めて彼女の作品を読みました。

 

 

女性作家といえば書き手としての目線もまた男性とは違っており、

今回の作品だとシングルマザーである主人公の視点や、

親子としての日常的なやりとりなど、

基本登場人物の行動は互いが助け合い、

愛情を分かち合う、そんな温かみが強く出てくる傾向にあると思います。

 

 

反対に男性作家といえば、どちらかといえばテーマに忠実であったり、どこか野心めいていたりと、人々の触れ合いはあくまでそのテーマに沿った通過点でしかないイメージです。

 

 

 

博士の愛した数式』は、記憶障害を持った天才数学者である老年の博士と、その家に家政婦として雇われた主人公がはじめはお互いに戸惑いながらも、少しずつ絆を深めていくストーリーです。

 

 

結局、博士の80分ごとにリセットされる記憶障害はなんだったのか、

 

主人公と博士の義姉との激しい言い争いに対して博士が提示した数式はどういう意味があったのか、

 

博士はどうしてルート(主人公の息子)の誕生日が終わった後に入院することになったのか、

 

色んなところで疑問が湧いてきますが、あくまでもこの小説にはそういった事象の出来事を解説することなく、主人公の一人称で話が進みます。

 

 

おそらく著者はこれからの説明が話を進めていく上で野暮ったくなるのを避けたのだと思います。

 

 

 

話としてもちょうどいい長さですし、最後は少し駆け足気味ではありましたが、普段読書慣れしていない人にも勧められそうな一冊です。

 

【短編】『刺青』谷崎潤一郎


谷崎潤一郎の短編小説です。

 

 

谷崎潤一郎の文学作品での基本的なコンセプトは、小悪魔的な女性についてのものが多いです。

 

 

妖しく繊細な美人が男性を食い物にし、弄ぶsadisticなシーンが目立ちます。

 


そこには谷崎が一種のフェチズム的な考えを女性に抱いていたのかもしれません。

 

 


『刺青』は谷崎の初期の作品になり、まだこの段階では悪女めいた物語の感は薄いです。

 

 


しかしこの段階で、女性の蠱惑的な魅力、無骨な男性にはたどり着くことのできない魅力を文学として表しています。

 

 

このレベルの作家にしては珍しく、世の諺や真理、哲学などを語ることは極めて少なく、谷崎潤一郎のコンセプトは耽美的な華やかさです。

 

 

数分で読める名作なので、谷崎潤一郎がどんな作家なのかを知るいいきっかけになるかと思います。

 

 


では。

【短編】『花火』永井荷風

永井荷風(1879〜1959)の短編小説です。

 


小説というよりかは、とても短い随筆のような形になっています。

 

 

文庫本で15ページほどの短い内容でありながら、明治時代の日本の激動に思いを馳せていく、主人公の心情が描かれています。

 

 

パリ講和条約の記念から打ち上げられた花火の音を聞きながら、主人公は日本の過去の出来事や、自分はその時何をしていたかを追想していくものです。

 

 

永井荷風は昔一度読んだきりで、その時はそこまで強く注目することもなかったのですが、今回図書館に行った時に、彼の短編集が目についたので、なんとなく借りてみることにしました。

 


古典的な味わいを残しつつ、かつ多種にわたる知識を織り交ぜた構成をした文章が多い印象でした。

 

なのでじっくりと噛み締めるように読んでいくのがいいのかなと。

 

 

 

私はあまり学がないものですから、こうした明治時代はの出来事、たとえば日清戦争日露戦争など、歴史のターニングとなるものについて深く言及されると、少したじろいでしまいます。

 

 

近代文学を読んでいくにあたって、その時代の歴史を踏まえない道はありません。

 

 

今回永井荷風を読んで、少し自分の無知が恥ずかしくなるとともに、これからもっと吸収していける可能性もまた見えたということで、いい読書ができたんじゃないかと思っています。

 

 


それにしても、改めて近代文学の作家たちの知識には感服するしかありません。


私も見習いたいものです...。

 

では。

【短編】『死者の奢り』大江健三郎


大江健三郎の初期のデビュー作です。

 

 

 

私、大江健三郎がかなり好きで、ちょくちょく読んでいます。

 

 

5.6年ほど前でしょうか、『個人的な体験』という、これまた初期の作品を読んでから、一気に彼の作品に魅了されるようになりました。

巷での大江健三郎の評価といえば、難読すぎる文章構成や、偏った政治思想の持ち主とも言われており、少し厳しめのものが多い印象です。

 

 


しかし私個人的には、大江健三郎ほどの文圧がある作家がかなり好みだったりするわけです。

まあ川端康成くらいシンプルな文章も好きなのは好きですが。

 


で、今回の『死者の奢り』ですが、短編小説となっておりまして、全体的に陰鬱な空気感が漂うものとなっております。


大学生である主人公が、解剖用に保存された死体を新しい水槽に移し替える仕事に就く物語です。

 

主人公と、もう一人仕事に就くことになった女子学生と、その解剖室の管理人が手分けして仕事をするのですが、連絡の違いにより、解剖用の死者たちはもう処分される予定のものとなっていたらしく、新しい水槽に移し替えた作業は取り越し苦労となってしまい、夜更けまで死者を処分するハメになるというお話しです。

 


のっけからじめじめしたような舞台の描写から始まり、出てくる登場人物や、今回のキーでもある解剖用に保存されていた死者の表現など、普段の生活では経験することの少ない要素が詰まっていながらも、確実に日常の一コマにあるものだろうかと、そう感じるリアリティがありました。

 


物語には、よく「死」の概念が付き纏います。それは物語自体を盛り上げるためだったり、答えのない問いかけとしてのモチーフだったりと、「死」の扱いはさまざまです。

 


今作での「死」は、解剖用としての材料である死者が、結局は何も利用されることなく、ただ処分されてしまう、そんな滑稽な形として現れています。

 


死者は死者で、火葬されることなく長年保存されたものの、結局は処分されてしまう。

そして主人公たちは主人公たちで、日中での仕事が完全なる無駄でしかなかったハメになるなど、登場人物の誰もが徳をしないという...。

 


陰鬱なままに、さらに物語の着地点も虚しい場所に降り立つわけで、現実味のある厳しさも兼ね備えていながらも、私たちの日常から遠いところにありがちな「死」の概念が身近にあるというのは、創作物ならではのものでしょうか。

 


大江健三郎がどんな作品を書いているのか、これを読めば一味わかるのではないかと思います。

 

 


では。